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長野地方裁判所諏訪支部 昭和37年(ワ)44号 判決 1964年6月20日

原告 浜薫明

被告 国

訴訟代理人 河津圭一 外一名

主文

原告の請求を棄却する。

訴訟費用は原告の負担とする。

事  実 <省略>

理由

執行吏が原告主張の日時場所において、その主張の仮差押決定正本にもとづきその主張の衣料品その他の有体動産について仮差押の執行をしたことは当事者間に争がない。

原告は右仮差押の執行を受けた物件は原告の所有に属する旨主張するので、先ずこの点について考えてみるのに、成立に争のない甲第六号証、第七号証および原告本人尋問の結果によりその成立を認め得る甲第八号証ならびに原告本人尋問の結果を綜合すれば、本件仮差押にかかる物件はいずれも原告の所有に属し、そのうち訴外内川正一店舗において仮差押の執行を受けた衣料品については原告が昭和三五年七月五日訴外内川正一との間に締結した物品委託加工ならびに委託販売契約にもとづき原告より同訴外人に販売の委託をなし、これを同訴外人に占有させていたものであること、又同訴外人の自宅において仮差押の執行を受けた家具その他の備品はもと同訴外人の所有であつたところ、同年七月一六日申立人原告と相手方同訴外人との間の岡谷簡易裁判所昭和三五年(イ)第一号預託金等返還等事件について成立した和解にもとづき、同訴外人の原告に対する債務の弁済に代えて右物件をその他の物件とともに同訴外人より原告に譲渡し、原告が同訴外人より右物件の引渡を受けてその所有権を取得したものであることがそれぞれ認められ他に右認定を左右するに足りる証拠はない。

原告は訴外内川正一の店舗における仮差押の執行に際し、同訴外人が右執行吏に対し仮差押の執行を受けた物件が原告の所有に属する旨告知し、その資料として前記岡谷簡易裁判所昭和三五年(イ)第一号預託金等返還等事件についての和解調書謄本(甲第六号証)を提示してその執行を拒絶したのに拘らず、右執行吏は該物件が原告の所有に属することを知りながら敢えてその執行を強行したものであるから右仮差押の執行は違法である旨主張するので、この点について審究するのに、証人内川栄江は右仮差押の執行に際し右執行吏に対して原告主張の前記謄本を提示した旨証言するけれど、右証言は後記証拠に比較してやすく信用し難く、却つて成立に争のない甲第一号証の一、ならびに田畑平喜の署名捺印部分についてはその成立に争がなく、その余の部分については証人 北原淳行の証言(第一回)によりその成立を認め得る乙第四号証および同証人の証言を綜合すれば、右執行吏は前記仮差押の執行に際し訴外内川正一又は内川栄江より原告主張の和解調書謄本の提示を受けた形跡のある事実は到底これを認め難いところであるのみならず、原告がこの点に関する立証として提出した甲第六号証の和解調書謄本の作成年月日が本件仮差押執行のなされた以後の日である昭和三六年一月三一日であることは右謄本自体の記載に照らして明白であるから、前記執行に際し右訴外人が執行吏に対し前記謄本を提示したとの原告のこの点に関する主張は認め得ないし、他に右認定を左右するに足りる証拠も存しない。

更に原告は前記仮差押の執行に際し訴外内川正一が右執行吏に対し、右仮差押にかかる物件は原告の所有に所する旨告知し、原告と同訴外人との間に締結作成されていた物品委託加工ならびに委託販売契約公正証書正本(甲第七号証)を提示して右仮差押の執行を拒絶したのに拘らず、右執行吏は仮差押物件が原告の所有であることを知りながら故意に執行を強行したのであるから右仮差押の執行は違法である旨主張するので、この点について考えてみるのに、前記仮差押の執行に際し訴外内川正一が右執行吏に対し、原告主張の公正証書正本を提示して仮差押にかかる物件が原告の所有である旨告知し、その執行を拒絶したことは当事者間に争いがない。そこで証人内川正一、同田畑平喜の各証言ならびに原告本人尋問の結果を綜合すれば、執行債務者である訴外内川正一は衣料品の販売業を営むものであつて、本件仮差押にかかる物件はその営業用商品であり、これを自己の前記店舗に置いていたことが認められるから、占有にもとづく権利推定の法理により右物件は一応右訴外人の所有に属するものとの推定を受けると言うべきである。従つて、およそこのような場合において執行吏が動産の仮差押の執行に際し執行債務者又は第三者よりそれが第三者の所有に属する旨を告げられたとしても、その動産が外観上の所見により或はその所在場所その他執行当時における諸状況等に徴し、若しくは有力な資料の提供を受けるか或はこれ等を綜合して右動産が第三者の所有に属するものと一応認めるに足りる客観的合理性があるとき、即ち前掲の推定を覆えすに足りる事情ないし資料のあるときは格別であるが、その然らざる限りはこれを執行債務者の所有に属するものとして仮差押の執行をしたからと言つて、そのことから直ちにその仮差押が違法なものであるとは言えない。本件仮差押執行の場合、執行吏において本件仮差押にかかる物件が原告の所有に属することを知りながら故意に仮差押の執行をしたとの原告の右主張の点については、執行吏が前記訴外人より本件物件が原告の所有に属する旨を告げられ且つ前掲公正証書正本の提示を受けたこと以外に故意を認めるに足りる証拠はなく、又右の告知及び公正証書正本の提示のなされた事実も前掲の権利推定を覆えし且つ執行吏の故意を推認するには足りない。もつとも、右公正証書正本は権利関係の変動を証明する有力な資料であることはいうまでもないところであるが、その内容を考察するのに、結局原告より訴外内川正一に対し衣料品の販売を委託する条項に亘るものであつて、その形式はとも角その実質においては終始営業用商品である衣料品の占有状態には変動がなかつた事跡に鑑みても、執行吏にとつて本件仮差押にかかる物件が果して原告の所有に属するかどうか疑念を容れる余地なしとしないところなのであるから、右公正証書正本の提示がなされたからと言つてそのことから直ちに右執行吏の故意を推認するに足りないものというべきであり、他に右認定を覆えすに足りる証拠はない。従つて原告のこの点に関する主張は理由がない。

なお、原告は前記仮差押の執行に際し右執行吏がその執行場所である前記店舗において執行調書を作成しなかつたので、右仮差押の執行は執行調書の作成なくして行なわれた違法の執行である旨主張するので、この点について検討を加えてみるのに、証人内川栄江は原告の右主張に副うような証言をするけれど右証言は後記証拠に照らして直ちに信用し難く、却つて田畑平喜の署名捺印部分の成立については当事者間に争がなく、その余の部分については証人北原淳行の証言(第一、二回)によりその成立を認め得る乙第四号証の有体動産仮差押調書ならびに同証人の証言によりその成立を認め得る乙第六号証の仮差押物件目録および同証人の証言を綜合すれば、右執行吏は前記仮差押の執行に際しその執行場所である訴外内川正一の店舗においてその執行調書を作成したものであることが認められ、他に右認定を左右するに足りる証拠はない。もつとも、成立に争のない甲第一号証の一の有体動産仮差押調書なる書面および同号の二の公示書なる表題の書面とは両者一体をなすものであることはその書面の作成形式上明らかであり、証人北原淳行の証言(第一回)によれば右書面は前掲乙第四、第六号証の謄本として作成したものであることが窺われる。ところで前記甲第一号証の一、二の謄本と乙第四、第六号証の原本とを相互に照合してみると、甲第一号証の一、二と乙第四、第六号証とはそれぞれ用紙の種類形質を異にしていること。又甲第一号証の二には公示書なる表題のもとに物件が表示されているのに対し、乙第四号証と一体をなすものと認められる乙第六号証には仮差押物件目録なる表題のもとに本件仮差押物件が表示されていること、更に甲第一号証の一と乙第四号証との記載内容においても前者にあつては請求金額一〇万二〇〇〇円と記載されてあるのに対し、後者にあつては一一万二〇〇〇円と記載されていること、又前者にあつては債務者妻内川栄江に出合してと記載されてあるのに対し、後者にあつては債務者内川栄江に出合してと記載されていること、更に前者にあつては、午後八時三〇分終了したと記載されてあるのに対し、後者にあつては午後八時三五分終了したと記載されてあることがそれぞれ認められる。凡そ調書原本とその謄本謄本とは常にその記載内容が一致していなければならないのに拘らず、前記執行調書の原本乙第四月証とその謄本甲第一号証の一とが同一の調書記載事項について前示のように齟齬している点があるのみならず、甲第一号証の一が謄本であるのに拘らず債権者田畑平喜の署名が存すること(この点は証人北原淳行の第一、二回の証言によつて認められる)ならびに甲第一号証の二について物件の表示がありながらその見積価格の表示を欠いていること、以上の事実が認められることからして果して甲第一号証の一、二がその原本である乙第四号証、第六号証にもとついて作成された謄本であるかとうかについて疑なしとしないところであるが、証人北原淳行の証言(第一、二回)によれば先ず用紙の相異は同執行吏が執行当日携帯した乙第四、第六号証の作成に用いたと同じ用紙を他に持合わせなかつたので、右用紙と種類形質を異にする他の用紙を使用して甲第一号証の一を作成したものであること、又甲第一号証の二の公示書なる表題の書面は成立に争のない甲第一号証の三(公示書)と同時に前記店舗において作成し、その一通を本来の公示書として使用し、他の一通即ち甲第一号証の二を甲第一号証の一と一体をなす仮差押物件目録として使用したものであることが認められるので、甲第一号証の二については公示書なる表題を抹消して仮差押物件目録と訂正すべきところ、右執行吏において過失によりこれを遺脱したものであることが認められ、又前記齟齬ある記載部分は請求金額一一万二〇〇〇円、債務者妻内川栄江に出合してと、又午後八時三五分終了したとそれぞれ記載するのを相当とするところ、執行吏においていずれも過失によりこれを誤記したものであること、又甲第一号証の二のうち田畑平喜の署名部分は右執行吏において誤つて不用な署名をさせたものであること、ならびに仮差押物件の見積価格の表示を欠いているのは右執行吏において過失によりこれを遺脱したものであることがそれぞれ認められ、他に右認定を覆えすに足りる証拠はないので、執行調書とその謄本とがその形式記載内容の点において前記認定のような相異若しくは齟齬があることからして直ちに右執行吏がその執行場所において執行調書原本を作成しなかつたものと推断するわけには行かない。

更に、原告は前記乙第四号証の有体動産仮差押調書中原告主張のような事実に反する虚偽の記載部分が存するので、かような調書にもとづいてなされた右仮差押の執行は違法である旨主張するので、この点について考えてみるのに、前顕乙第四号証の調書中「債務者内川栄江は動産につき執行せられたい旨申立てた」旨、或は「右調書は関係人に読聞かせた」旨、或は「関係人がこれを承認して署名押印した」旨の記載部分が存すること、ならびに前記仮差押の執行に際して関係人中債務者内川正一の妻内川栄江が執行吏に対し動産につき執行せられたい旨申立てた事実がなかつたこと、関係人中債務者内川正一およびその妻内川栄江が右調書に署名捺印した事実があつたこと、右執行吏が関係人らに対し前記調書を読聞けた事実がなかつたことは当事者間に争のないところであるから右調書中これ等の点に関しては事実に反する記載がなされていることが認められるのであるが、証人北原淳行の証言(第一回)によれば、右執行吏は慣例として執行場所に臨場前予め執行現場における調書作成上の手数を省くため前示のような定型的記載部分についてその旨記入した執行調書用紙を携帯して臨場するのを常としていたので、本件仮差押の執行に際しても右と同様の事項を記載した用紙を携帯して臨場したところ、動産について執行を受けることについて異議の申立があつたので右記載部分は抹消すべきであり、又右調書は関係人に閲覧させたものであり、又関係人中債務者訴外内川正一およびその妻内川栄江が右調書に署名捺印した事実がなかつたのであるからそれぞれその旨訂正すべきところ、右執行吏はその過失により前記記載部分に関する抹消訂正を遺脱したものであることが認められる。

固より執行吏は執行機関として執行調書の作成にあたつては執行の顛末を正確に調書に記載すべき職責を有するものであり、前示のような訂正抹消を遺脱するがごときは執行吏としてその職務の遂行について用うべき注意義務を尽さなかつたものと言うべく、右執行吏の作成した前記調書はまことに社撰も甚だしいものと言わなければならないところであり、このように前記乙第四号証の仮差押執行調書中には前示認定したように、まきに原告の指摘するような調書上のかしが相当数散見することが認められるところではあるけれど、執行調書は民事訴訟法第五八六条に規定する照査手続に関する調書を除き一つの証明書としての性質を有するに過ぎず、執行調書の作成自体は仮差押執行行為有効要件ではないから仮に執行調書が存在せず又はこれに前示のようなかしがあつても単にそれだけでは執行行為自体をも違法ならしめるものではないと解するのを相当とするし、又右執行吏が前示調書中の原告指摘の記載部分については故意にその旨虚偽の記載をしたものと認めるに足りる確証も他に存しないので、原告の右主張も相当ではない。

原告は右執行吏が同訴外人の自宅における仮差押の執行に際してもその過失により執行調書を作成しなかつたので右仮差押の執行は違法である旨主張するので、この点について検討するのに、証人内川正一、同内川栄江は右執行吏がその執行場所である前記訴外内川正一の自宅において執行調書を作成しなかつた旨証言するけれど、同証人らの右証言部分は後記証拠に照らしてたやすく信用し難く、却つて田畑平喜の署名捺印部分については成立に争がなく、その余の部分については証人北原淳行の証言(第一、二回)によりその成立を認め得る乙第五号証、同証人の証言によつてその成立を認め得る乙第六号証ならびに同証人の証言を綜合すれば、右執行吏は前記仮差押の執行に際しその執行場所である訴外内川正一の自宅において執行調書を作成し、同訴外人が同所に現在していたので口頭により同訴外人に対し差押の通知をしたものであることが認められる。もつとも前掲乙第五号証のうち「債務者内川正一は動産につき執行せられたい」旨申立てた旨、或は「関係人に読聞かせたところ承認して署名押印した」旨の各記載部分の存することが認められるところ、証人内川正一、同内川栄江の証言を綜合すれば右訴外人らは前記執行に際し、右執行吏に対し自宅に在る仮差押物件は原告の所有に属する旨告知してその執行を拒絶したこと、ならびに右調書を読聞かされてこれを承認して署名押印した事実がなかつたことがそれぞれ認めらるので、右記載部分は事実に反するものであり、右執行吏において右該当部分を抹消訂正すべきところ、過失によりこれを脱漏したものであることが窺われる。

又、同調書中調書作成の場合として「本調書は債務者……において作り」と謂う記載部分の存することが認められるが、右は調書作成場所の表示としては明確を欠いている点はまことに原告指摘のとおりであるが、同調書中の「執行吏が債務者居宅に臨み債務者内川正一に出合し」とある記載部分と前示記載部とを比較してみれば、右執行吏としては調書作成場所として「本調書は債務者居宅において作り」と記載すべきところ、その過失により「居宅」の記載を遣脱したものであることが認められるけれど、前示のような遣脱があつても右調書中の前後の記載関係から考えて、右調書は同訴外人の居宅において作成されたものであることが認められるから、かような遣脱の存することをもつて直ちに右調書がその作成場所の記載を欠く虚偽の調書とみることは適切ではないし、以上認定したような調書上のかしはただそれ丈けでは執行行為自体をも違法ならしめるものではないこと前記説示のとおりであるから、原告のこの点についての主張も認められないところである。

原告は訴外内川正一の自宅における本件仮差押の執行はそれが夜間に及んで行なわれたものであるに拘らず、右執行吏は管轄執行裁判所の夜間執行許可決定を受けることなくして違法に仮差押の執行をしたものである旨主張するので、按ずるに、右仮差押の執行が夜間に及んだことは当時者間に争がなく、右執行吏が前記仮差押の執行に際し夜間執行許可決定を受けることなく右執行したとの点についてはこれを認めるに足りるなんらの証拠はなく、却つて成立に争のない乙第三号証ならびに証人田畑平喜、同北原淳行(第一、二回)の証言を綜合すれば、右執行吏は前記仮差押の執行に際し予め管轄執行裁判所の夜間執行許可決定を得て右執行に著手したことが認められ、他に右認定を左右するに足りる証拠はないから原告のこの点についての主張も理由がない。

原告は右執行吏が本件仮差押債権額一一万二〇〇〇円の動産の仮差押執行として訴外債務者内川正一の自宅に在る家具その他の備品に対する執行だけでその目的を達し得たのに拘らず、右債権額を遙かに超過する価格を有する同訴外人の店舗に在る衣料品についてまで違法に仮差押を執行した旨主張するので、この点について判断するのに、証人北原淳行の証言(第一回)によりその成立を認め得る乙第六号証(但し番号四五以下)ならびに同証人の証言(第一、二回)を綜合すれば、同執行吏は衣料品以外の動産物件についての仮差押については本件仮差押執行当時までに相当の事件を取扱つた経験を有し、従つて目的物件の見積価格についても自己の見識に従い概ね妥当に評価をなしてきたものであることが認められ、乙第六号証中番号四五以下の同訴外人自宅の家具その他の備品についての総見積価格が二万六〇〇〇円であることも決して不当に低価な評価によるものではないことが認められる。してみれば同訴外人自宅に在る家具その他の備品に対する仮差押の執行だけでは、本件仮差押債権額一一万二〇〇〇円には満たないから同執行吏が同訴外人の店舗に在る衣料品について右債権額に満つるまで仮差押の執行をすることは許されるわけであるが、然し同執行吏のなした右訴外人の店舗に在る衣料品に対する仮差押の執行について検討するのに、凡そ執行吏は有体動産の仮差押にあたつては差押物件について正当に価格を評価すべき法律上の義務があるのであるが、証人佐藤吉雄、同北原淳行の証言(第一、二回)によると、同執行吏は本件仮差押の執行をなすにあたりそれまでにかかる衣料品について仮差押の執行をした経験が全くなかつたのであるから、執行吏として予め衣料品の評価について十分調査研究を遂げておくとか、或は鑑定を用いる等して極力評価の適正を誤ることにつとめるべき注意義務があるのにも拘らず、本件仮差押の執行にあたつては衣料品販売業者である債権者田畑平喜ならびに同人の依頼を受けて事実上執行現場に同行したもと衣料品商であつた訴外佐藤吉雄の意見を徴しながらこれに依拠して逐次物件の見積価格を評価し、その評価額を右物件の市場価格の五割ないし七割位に評価して仮差押を執行したところ、同訴外人の自宅にある家具その他の備品に対する物件の評価額と合算すれば債権者一一万二〇〇〇円を二万四〇二〇円超える総見積価格一三万六〇二〇円の物件について仮差押を執行した過失があることが認められるので、かかる仮差押の執行は債権額を超過する限度においてかしある執行と言うべきものであつて、このことからして社会通念上債権者を著しく超過する違法執行として本件仮差押の執行全部についてその違法を生ぜしめるとは考えられない。原告は本件仮差押物件中訴外内川正一の店舗において仮差の執行を受けた衣料品の仕入原価が四五万一三七九円であつたとして、甲第一二号証の一ないし四をもつてその点に関する立証の資料に供するけれど、一般に仮差押にかかる物件の競売価格は通常その実価の三分の一程度であることは経験上明らかなところであるから、右執行吏が本件仮差押に際し右仮差押にかかる物件を不当に低価に評価したものとは認め難いし、又右執行吏が故意に前記仮差押物件を低価に評価したことを認めるに足りる確証もないので、原告のこの点についての主張も理由がない。

原告は右執行吏がその過失により本件仮差押の解放手続を違法に遅延させた旨主張するので、この点について検討を加えてみるのに、原告が昭和三五年一二月二七日長野地方裁判所諏訪支部よりその主張のような取消決定を得て前同日午後右決定正本を諏訪郵便局より書留配達証明郵便により同裁判所飯田支部内右執行吏宛て郵送し、右書面は翌同月二八日ごろ右執行吏に到達したことは当事者間に争がなく、成立に争のない甲第三号証の一、二ならびに証人北原淳行の証言(第一ないし第三回)を綜合すれば、右執行吏はもと飯田市役所に勤務していたものであるが、昭和三五年二月ころ同裁判所飯田支部執行吏に任命され、それ以来執行吏として職務を執り、その事務所を自宅である下伊那郡上郷村に、又その出張所を同裁判所伊那支部に置き、主として上伊那、下伊那両郡内において執行事務を執つていたが、本件仮差押執行当時約三〇〇件の執行事件を担当し、右執行吏としては執行吏に任命されて以来未だ日も浅く、事務処理上の経験もさほどではなかつたところから、相当程度多忙を極めていた実状にあつたところ、前示のように昭和三五年一二月二八日ころ原告より前記取消決定正本の送付を受けたので、右執行吏としては遅滞なくその解放手続に著手し、もつて速かに右事務処理をなすべき法律上の義務があるところであるが、原告より前記決定正本の送付を受けたその頃は所謂「御用じまい」として、諸官庁においては右同日を最後としてその年内における事務をとらないこと、ならびに翌年昭和三六年一月一日より三日まで諸官庁においては前同様執務しない慣行あることは当裁判所に顕著な事実であるところ、右執行吏においても右慣行にならつてその間殆んど執務することなく一月四日ならびに五日ころに至つて年末年始に受領した書類を整理し、その他新年に入つてからの執行事務の準備に取りかかつたが、たまたま同月九日より一一日に亘る三日間同裁判所飯田支部において裁判所担当官による執行吏事務査察を受ける日に指定されていたので、右査察前に未済となつている他の執行解放事務を急速に処理する必要に迫られ五日より七日までは上伊那、下伊那両郡内に出張し事務処理に従事したが、右執行吏としては執行吏に任命されて以来始めての査察を受けることでもあつたので特にその準備に追われ、八日には査察を受ける事件記録を数回に亘つて右自宅事務所より飯田支部まで運搬したうえ、更に査察を受けるに適する状態に事件記録を整理することに忙殺され、翌九日より一一日までは予定どおり査察官による執行吏事務査察を受け、一二、一三両日に亘つて前記査察を経た事件記録を今後行うべき事務処理に便宣なように区分整理するかたわら一二日ごろ本件仮差押解放調書を作成し、出張先の適宜の場所より訴外債務者内川正一にこれを郵送すべく右調書を携帯して出張しているうち、他の事務処理に追われ一六日に至つてようやく伊那市内において右調書を右訴外人に宛て郵送し、右書面は翌同月一七日ころ同訴外人に到達したものであることが認められる。

してみれば、右執行吏が原告より前記取消決定正本の送付を受けた昭和三五年一二月二八日より起算し同執行吏が解放調書を同訴外人に郵送するまでの間二〇日間を経過しているが、このことは執行吏として尽すべき注意義務を怠つたものと謂うべきではあるが、前記認定の事実関係からみて同執行吏は本件当時までには執行吏としての職歴は未だ一年を出でないものであり、従つて執行吏としての事務処理上の智識経験も一般執行吏の持つそれに比較していささかこれに及ばなかつた嫌があつたのみならず担当事件も相当数に達して多忙であつたうえ、執行吏として始めて執行吏事務査察を受けるその準備や査察後の事件記録の整理等に多忙を極めていたこと、その他前記の期間が年末年始にかかつていたこと、その他の諸事情に徴して右執行吏の右措置はまことにその当を得なかつたものと言うべきであるが、これをもつて同執行吏が違法に右解放手続を遅延させたものとはにわかに認め難く、他に右認定を覆えすに足りる証拠は存しない。

以上認定したように、右執行吏がその職務である仮差押の執行に際しその故意過失により違法に仮差押の執行をなし、又仮差押解放手続をその過失により違法に遅延させたとの事実はこれをめ得ないところであるから、仮に原告にその主張の損害が発生したとしても右損害は右執行吏の行為とは法律上因果関係が存しないから、原告の本訴請求はこの点においてその前提を欠き失当であることを免がれないのでこれを棄却することとし、訴訟費用の負担については民事訴訟法第八九条を適用して主文のとおり判決する。

(裁判官 馬場励)

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